Mentor 島津相談室

空手のお話

 私が空手と出会ってから、40年の時が過ぎてしまいました。
他にも様々な武道を修得して来ましたが、全て空手の役に立つ形で吸収されました。

 13歳の時に、当時住んでいた所の近くに小さな空手道場がありました。そこは本当に小さな道場で、木造の平家で広さは20畳程度だったと思います。
そこが私の空手の原点です。

 始めた動機は、弱虫で苛められっ子だった私は、ただ強くなりたいと云う思いだけでした。
然し、稽古の厳しさは半端なものではありませんでした。
一応、寸止めと云って、相手に当てないで稽古したり試合したり(組手と云いますが)と云う建前でしたが、実際は相手に力一杯当てて稽古していました。
徹底して稽古をして反射神経を養えば、ほんの数ミリの差で相手に当たりもすれば、避けられる事も可能だと云う考えからの事でした。

 基礎訓練としての体力作りの為に、人を肩に担いでのスクワットを100回、拳立て(拳で行う腕立て伏せ)を100回、腹筋が100回が、毎回の稽古の締め括りでした。
練習時間は約2時間半、それもその時によって3時間になり、また5時間になる時もありました。

 その道場との出合いが、その後の私の生き方の原点であり、芯となっています。
当時、私はまだ子供であり、そんな私を同じ道場生の方々(と云っても、皆社会人でしたし、中には老人の域に入っている方もおられましたが)は対等に扱ってくれ、時には厳しく、時には優しく指導してくれました。
また、当時は全く空手の歴史や流派に付いての知識がなく、今思い出すと冷や汗が出てしまいますが、その道場の主である師範は有名流派の開祖の御子息であり、その流派では中心的な道場だったのです。
空手には多くの流派がありますが、現代の空手の諸流派の基礎となったのは3大流派と云われる、剛柔流・松濤館流・糸東流であり、その中の一つの流派の道場だったのです。
何も知らない、生意気な小僧を師範も先輩方も暖かく見守って下さり、空手だけではなく色々な事を教えて戴きました。
空手の歴史、一つ一つの技の意味、相手と対する時の心構えと心の使い方、そして武道家としての生き方や覚悟、男としての在り方、等々。
私の生き方や考え方は、ここで始まりました。
本当に、幸運であり光栄な出合いだったと思います。

 以来、ずっと空手を続けて、一応は有段者となりましたが、大学進学の為に東京に出て来た後も、月に数度は帰って道場に通っていました。
長く続けていれば段々と段位も上がり、高段者と云われる迄になりましたが、ある時、友人が“極真会館”と云う団体で空手をやっていると知り、誘われて彼が所属していた支部道場に見学に行ってみました。
そこは本当に小さな道場で、ビルの地下にありました。
何となく昔の事を思い出していたのですが、私を連れて来た彼はまだ茶帯(たしか1級だったと思います)でしたが、その動きの素早さと柔らかさに私は驚きを禁じ得ませんでした。
実践的で論理的な稽古は、それまでの私には想像もしなかったものでした。
噂に、“ぶっこわし空手・ケンカ空手の極真会館”と云う事は聞いていましたが、この目で見るまでは信じていませんでした。
道場の雰囲気も、そう云う噂が流れる位だから殺伐としていると思っていたのですが、非常に明るく楽しく、和気藹々と皆が稽古している姿には感動しました。
私が所属していた空手の道場は伝統空手であり、非常に節度を重んじるが故に、和気藹々と云う所は微塵もなく厳しい場所でしたから、非常に驚きました。
そして、稽古の終わった後も残って自主トレをしている道場生の熱心さには、私のいた道場では、そう云う事はありませんでしたから、再度驚きました。

 その後、暫くの間、私も極真会館でお世話になりましたが、やはりその時に学んだ事は、私の中の大切な宝です。

 空手をやって本当に良かったと思うのは、絶対に諦めない事、常に冷静でいる事、相手との距離を何時も量る事、相手の心を読む事、一挙手一投足まで観察する事、等々を学べた事です。
そして何よりも、自分に絶対の自信と余裕が生まれ、人に対して優しくなれた事です。

 最近、私の所へ御相談に来られる方に、子供の教育問題で悩んでいる方が多いですが、そう云う場合、「私は親で出来ない躾は道場でも行かせなさい。必ず、子供は変わるから。」と武道を勧めます。
私としては空手を勧めたいのですが、その子の相性もあるでしょうから、親子で選ばせる様にしていますが。
根性のない、或いは人の痛みを知らない、けじめのない、そう云うひ弱な精神と肉体を持った子供が増え、私の目から見れば現代の子供達には子供らしい勢いが感じられません。
武道は必ず、そう云う子供達を変えてくれると信じています。
勿論、他のスポーツでも良いでしょうが、武道には思想があります。
日本に限らず、東洋では武道と云うものは君子のたしなみであり、人としての基本的な心と在り方を教えてくれるものです。

 また、東洋の武道は気を用い、それを修得する事なしに上達する事はありえません。
気は呼吸が基本であり、呼吸が整えば健康も精神もコントロール出来る様になりますし、また対人関係においても相手の呼吸や間合いを知る事で、有利な立場に立つ事も可能です。

 暫くの年月、私は悩みや苦しみのある方の御相談に明け暮れ、空手から遠ざかっていましたが、ある御縁から新極真空手の多数の支部長の先生方との知己を得る事が出来、大変に光栄に思っています。
かつて私が現役で稽古していた頃に、憧憬の思いで見ていた方々と親しくお話させて戴く事が出来たのは、本当に名誉な事です。
その中でも、先日急逝された総本部道場の伊師徳淳師範五段とは、温かい友情でお付き合いさせて戴きました。強く、優しく、人間的にとても魅力溢れる友でした。
 
2007年4月15日、「正伝流空手道 中村道場」が出来ました。

何年もの間、月に一度、空手を追求して行こうと一緒に練習させて戴いていました。
そして真の空手を追求して行こう、楽しい道場を作ろうと云う目標を掲げ、師範が独立されて出来た道場です。
道場開設まで紆余曲折がありましたが、道場生達の師範を盛り立てようと云う熱い思いと協力の結果、素晴しい道場が出来ました。

 道場の看板の文字は、私の母の友人の書家が書いて下さりました。
また道着や幟に使われている文字は、私の母が筆を執りました。
「正伝流」の名前は、師範と私が相談し、「正しい空手を、正しく伝えて行こう」と云う思いから決定しました。

 私も毎週練習と指導補佐に道場へ行っていますが、道場生達の人格、明るさに感心しています。
こんな楽しい道場はありません。
厳しさあり、笑いあり、汗もあれば涙もあり、空手とは全く無関係に思える指導まであります。
これからの発展に期待出来る、素晴しい道場です。


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